TAIJI's History 2
1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998
- 1992年
- 1月
- 東京ドーム3DAYSの1週間後、高崎晃(タッカン)が、TAIJIに連絡を取り、レコーディングが決定
- わずか1週間後には、山中湖で合宿に入る
- 午前11時半起床、正午から時まで昼食をとり、スタジオ入り
- ひたすらレコーディングをして、夕方7時から8時まで夕食、その後ふたたびスタジオに入り、深夜0時過ぎまで作業は続く
- 0時以降は、夜食をとりながら一日の反省会
- テープを聞きながら、メンバーでアレンジなどの話を中心にした反省点をあげていく
- 深夜3時過ぎ、部屋に帰るという規則正しい生活を送る
- 最初はおとなしかったTAIJIも、だんだんと食欲も出て、お酒の量も増え、毎夜の宴会(反省会)となる
- ベースの弾き過ぎで、腱鞘炎となる
- レコーディングは約4週間続く
- 1月31日
- TAIJI、Xを正式脱退
- この時点ではまだLOUDNESESのニューアルバムのサポートメンバーとしての参加
- 4月初旬
- ニューアルバム完成
- 4月中旬〜下旬
- TAIJI、LOUDNESSに正式加入
- 各音楽雑誌の取材攻勢
- アリーナ37℃で連載中の「中島和之の『俺はヘアメイク稼業』」での中島氏のエッセイに感動し、ファックスを送る(92年6月号)
- 対談やインタビューなどを受ける
- そのフォトセッションに使われたスタジオで、PATAと遭遇、一緒に記念写真を撮る
- 5月25日
- シングル「BLACK WOMAN」発売
- 5月28日〜29日
- 「ONCE AND FOR ALL」(クラブサーキット)ツアー開始
- 札幌ペニーレイン24
- 6月1日
- 川崎クラブチッタ(後にビデオ「ONCE AND FOR ALL」として発売)
- 6月5日
- 名古屋ボトムライン
- 6月6日
- 大阪モーダホール
- 6月10日
- ニューアルバム「LOUDNESS」発売!
- 「Welcome to the SLAUGHTAR HOUSE」ツアー開始
- 渋谷公会堂
- 6月17日
- 渋谷公会堂
- 6月19日
- 宮城県民会館
- 6月21日
- 神戸国際会館
- 6月22日
- 京都会館
- 6月23日
- 浜松市民会館
- 7月1日〜2日
- 中野サンプラザ
- 7月13日
- 愛知県勤労会館
- 7月15日
- 広島アステールプラザ
- 7月18日
- 福岡市民会館
- 7月20日〜21日
- 中野サンプラザ
- 21日のアンコールで、NASAKIがタッカンを肩車する事件勃発(もちろんタッカンはそれでもギターを弾いた)
TAIJIは「何て足腰が強い人なんだろう!」と驚いていた- この日のライブは、後にビデオ「Welcome to the SLAUGHTAR HOUSE」発売
- 8月3日
- 大阪厚生年金会館
- 8月中旬
- 初のOFF、TAIJIは実家のある市川へ
- 9月
- 秋のツアーへ向けてのリハーサル
- ファンクラブ「LOUDICT」から会報「Jungle Gym」創刊
- 9月21日
- 「SLAUGHTAR HOUSE 2〜POWER STORM〜」ツアー開始
- 札幌厚生年金会館
- 9月27日〜28日
- 渋谷公会堂
- 11月17日
- 「SLAUGHTAR HOUSE2〜LOVE NEVER DIES〜」ツアー開始
- 浜松市民会館
- 11月24日
- 愛知勤労会館
- 11月26日
- 福岡サンパレス
- 11月27日
- 鹿児島市民文化第一ホール
- この鹿児島で、TAIJIは初のゴルフ経験!ラウンドを回るが、ほとんど山登りと化していたらしい
このライブには、家主も宮崎から駆けつける。客層は、このテの音楽にうとい人が多かったせいか、しばし呆然としていたが、途中MASAKIが客席へ飛び降りて、アオり始めると、客席も爆発!
後にメンバーが音楽雑誌に「鹿児島は面白かった」と語るほどのライブとなった。- 11月30日
- 広島厚生年金会館
- 12月1日
- 高松市民会館
- 12月4日
- 京都会館第2ホール
- 12月5日
- 神戸国際会館
- 12月9日
- 大宮ソニックシティー
- 12月14日
- 市川市文化会館
- 12月15日
- 八王子市民会館
- 12月17日
- 青森市文化会館
- 12月19日
- 宮城県民会館
- 12月21日
グリーンホール相模大野
- 1993年
- 1月12日
- 大阪厚生年金会館大ホール
- 1月13日
- 名古屋市公会堂
- 1月18日
- 渋谷公会堂
- 1月21日
- 渋谷公会堂
- 1月26日〜27日
- 中野サンプラザ
- 2月
- 「Jungle Gym」2号発刊
- 5月
- LOUDNESS、事務所との契約が切れる
- マサキが脱退の意を示す(後に翻意)
- 6月
- TAIJI、「LOUDNESSに参加出来る」という条件で、個人管理会社「TAOコーポレーション」設立
「Jungle Gym」3号発刊
- 8月
- TAIJI、渋谷のイケベ楽器店でオベーションを購入
- 8月4日
- TAIJIのファンクラブ会報「GASOLINE COWBOY」に載せる写真を撮影するために伊豆へ!
- 購入したばかりのオベーションを抱えてリフトに乗るTAIJIの写真が会報に載っている
- 旅行には、友人でヘアメイクの「なかじ」こと中島和之も同行
- 8月15日
- 我孫子市民会館にて行われた北海道南西沖自信チャリティーを兼ねた「第9回YOUNG MUSIC FESTIVAL」のゲスト審査員として出演
チャリティーとして、サイン色紙を提供- ゲストとして、TAIJIの妹沢田雅世のバンド「CLICKET」も出演
- 契約が切れ、LOUDNESSメンバー同志でさえ連絡がとれない状況の中、以前の事務所が樋口の契約を続行する方向で動き、マサキにもLOUDNESSに戻るよう説得
- 10月
- TAIJI FAN CLUB「GASOLINE COWBOY」発足
- TAIJI、竹内光雄をソロ活動に誘う
- 11月初旬
- LOUDNESS復活の知らせが樋口より届くが、その4日ほど前に、「TAOコーポレーション」ではTAIJIのソロプロジェクトを動かす決心を固めていた
- TAIJI、LOUDNESS脱退
- 樋口宗孝、LOUDNESS脱退
- 11月8日
- 渋谷ON AIRで、「外道」のライブにセッション参加!
- 加納秀人やそうる透、関谷聡らと迫力のライブを行う
- 11月下旬
- 「SHOXX」vol.21に、TAIJIの撮り下ろし写真とコメントが巻頭で載る
- 12月
- TAIJIの個人ファンクラブ「GASOLINE COWBOY」会報1号発刊
- 12月24日
「LOUDICT」閉会の通知が、Tシャツや特製ビデオとともにファンクラブ会員に届く
- 1994年
- 年明けて、レコーディングに突入、横浜のランドマークタワー内のレコーディングスタジオで、毎日遅くまでリズムとギター録り
3月15日〜18日- ジャケットとビデオの撮影のためレコーディングより1週間早くLAへ
本当は2月に出発の予定が延期になったが、そのおかげでLA地震をさけることになった
コーディネーターは、「BLACK RAIN」をコーディネートした人でLAで3本の指に入るという
撮影はPOLICEMANを護衛に行われ、日本人初のRANDSBURGでの撮影も無事終了
現地の人にも気に入られ、「アメリカでやれば」と言われていた- LAで、Vo録りとトラックダウン
竹内が腰を痛めてしまった時、毎日TAIJIが食事を作って運んでいたという
スタッフは、この時期、TAIJIがほとんど毎日作ってくれる夕食に感動していたらしい- 4月中旬
- LAでのレコーディングが終わり、ビデオ「CYBERENTIC CRIME」の撮影がLAのダウンタウンで行われた
- 4月下旬
- ファンクラブ会員に、「D.T.R」の発表とメンバー、デビューライブを知らせる葉書が届く
この時のメンバーは、沢田泰司(B)、竹内光雄(Vo)、藤本泰司(G)、岡部俊彦(DS)、ICHIRO(G)<support>、小森茂生(Key)<support>- 5月
- ファンクラブ会報2号が届く
2号より、TAIJI個人ファンクラブから、D.T.Rファンクラブへと移行する
- 5月下旬
- デビューライブ前日のファンクラブ限定シークレットGIGの知らせがファンクラブ会員あてに届く
- この頃、音楽雑誌でもニューアルバム等発表の記事が載る
- 6月28日
- 恵比寿ギルティでデビュー前夜のファンクラブ限定シークレットGIGが行われる
前座に、黒田朋幸(通称TOMO)の率いるバンドが出演、大いに盛り上げる(TOMOは、その後、D.T.Rの正式メンバーに)
その後、D.T.Rが登場すると、テンションは最高潮に達する- 6月29日
- 渋谷公会堂にて、デビューライブ!「Drive To Revolution」
超満員の観客を前に、迫力のステージを展開- 7月1日
- デビューアルバム「DIRTY TRASHROAD」とミニアルバム「DIRTY TRASHROAD〜Acoustic」(完全限定版)を同時発売
- 7月23日
- 竹内の故郷である群馬県太田市の祭りで、D.T.Rのイベント開催
質問コーナーや、サイン、握手ありと大サービスの上、予定外のアコースティックライブまで行われた- 8月初旬
- 会報3号発刊
黒田朋幸(TOMO)が正式メンバーに- 8月21日
- 「DRIVE TO REVOLUTION」ツアー開始
新宿パワーステーション- 8月28日
- 渋谷公会堂
- 9月1日
- 福岡都久志会館
- 9月2日
- 大阪メルパルクホール
- 9月4日
- 名古屋ダイアモンドホール
- 9月5日
- 新潟フェイズ
- 9月7日〜8日
- 札幌ペニーレイン
- 9月12日
- 渋谷公会堂(ファイナル)
- 10月16日
- 竹内とTOMOのバースデーパーティが目黒鹿鳴館でファンクラブ限定のシークレットライブとして行われた
鹿鳴館の店長も加わり、レインボーのコピーなどで盛り上がった
藤本は、1曲めでドラムを叩き、TOMOは、ボーカル、カメラマンの今井君がベースを弾いた
TAIJIはもちろんレインボーのコピーは完璧(ベースかギターかは不明)- 11月26日
- D.T.Rのビデオ「DRIVE TO REVOLUTION」発売
9月12日の渋谷公会堂ライブを収録- 11月19日〜26日
- 全国各地でビデオ発売を記念したビデオコンサートを開催、ライブシーン、TAIJIやメンバーのインタビューやプライベートシーンも交えたビデオを入場無料で公開した
- 12月
- 2ndアルバムのレコーディングのリハーサルを都内のスタジオで開始
- 12月18日
- 大阪WOHOLでD.T.Rフェアが開催、その後、大阪HARD ROCK CAFEでKiller Criminal Phoenixの贈呈式が行われた
初のBASS贈呈で、TAIJIは「嬉しい」を連発!- 12月
- アリーナ37℃(音楽専科社)よりD.T.R写真集「Drive To Revolution」が発売される
- 1月10日
- 川崎クラブチッタでオールスタンディングイベント開催
岡本健一率いるADDICT OF THE TRIP MINDSとのセッションもあった- 1月22日
- 渋谷公会堂ライブ
- 1月24日
- レコーディング本番スタート
伊豆Kity Studioに入りレコーディングがはじまった- 3月
- 東京にてトラックダウン開始
- 3月4日
- 渋谷ON AIR EASTで行われた神戸チャリティーコンサート「ROCK ON KOBE」に参加ACTION、ZIGGY、プラネットアース、山本恭司、寺田恵子、TUSK、西田昌史がステージに上がった他、参加できなかったイエローモンキーやガーゴイル、KENらからはオークション用のグッズが送られ、330万円が集まった
- 3月
- 藤本の誕生日より数日遅れて、六本木の「PiPS」でバースデーパーティ、オベーションのギターがプレゼントされる
- 3月12日
- 札幌シェルドンギターズでTAIJIのサイン会、アルバム完成直後のため、日帰り強行スケジュールとなるが、しっかりおばさま団体にもまれながら、カニを買って帰ったらしい
サイン会は大盛況で、泣き出すファンも続出- 5月24日〜25日
- 「CLUB HOUSE GIGS TOUR 1995」スタート
- 日清パワーステーションで2ndアルバム発売記念の2daysライブ
- 5月25日
- レコーディング時間が1000時間を超えた、2nd Album「DARING TRIBAL ROAR」と1st Single「CHAIN<絆>/ I BELIEVE…」同時発売
- 6月9日〜10日
- 福岡DRUM BE-1
- 6月12日
- 広島ネオポリスホール
- 6月15日〜16日
- 大阪WOHOL
- 6月24日
- 札幌PENNY LANE 24
- 6月26日
- 新潟フェース
- 6月28日
- 名古屋ボトムライン
- この時期、青木秀一プロデュースの「Kings」のベース録りが行われる
- 7月4日
- ミーティングでキーボードの清水賢治が正式メンバーに決定
- 7月6日
- ON AIR EASTでのライブでファンに発表
- 7月12日
- TAIJIのバースデー、スタッフ身内で集まりアットホームなパーティが行われた
- 8月29日
- D.T.Rのメンバー全員とスタッフでキャンプへ
TAIJIの愛娘珠梨愛ちゃんも一緒
皆でバーベキューの後、夜釣りを楽しむ- 9月24日
- 六本木PiPSでファンクラブの集い(東京編)が行われ、TAIJIは「imagine」を熱唱!メンバーとファンとのセッションも行われ、D.T.Rをバックに歌うなどファンにとって夢のようなライブとなった
- 11月5日
- 神戸学院大学学園祭でライブ予定だったが、TAIJIの事故による左手の骨折と竹内の入院のため、やむなくキャンセル、代わりにGRAND SLAMが出演した
同日、目黒鹿鳴館でTHE ULTRA SESSIONと題したライブに、藤本が参加、さまざまなミュージシャンとのセッション大会となった- 11月10日
- 大阪バナナホールでも同様のセッションが行われた
- 11月19日
- ファンクラブによるD.T.Rのメンバーに品のチャリティーオークション大会が開かれ、ルーマニアのエイズの子供たちに売上金と三輪車をプレゼントした
この後、しばらく情報なし
- 5月
- 竹内光雄の突然の脱退がファンクラブから発表される
4月には正式に脱退となっていたもよう
本人よりの直接は知らされず、代理人による通達
メンバー全員凄いショックを受けると同時にD.T.Rやファンクラブの活動も休止となる会報は、6号でストップ- 6月8日
- キラーギターズによるTAIJIのサイン会が島村楽器赤羽支店で行われる
- 6月16日
- すみや静岡駅前店でのサイン会
- 7月6日
- 島村楽器札幌店
- 7月7日
- エルム楽器
- この後、情報は跡絶える
途中、TOMOのバンド結成の知らせや藤本のライブの知らせなど音楽情報誌に載るが、TAIJI自身の情報は皆無
同じく情報なし
- 9月22日
- XJAPAN解散発表
- 12月31日
- 東京ドームにてXJAPANラストライブが行われる
- 1998年
- 5月2日
- HIDEが不慮の事故により死亡
- 5月6日
- HIDEのお通夜にTAIJIが現われたとの情報が大島暁美氏や東海林のり子氏によりある
- 5月7日
- HIDEの告別式
X JAPANのメンバーが勢ぞろいし、「FOREVER LOVE」を演奏した時に、HIDEの祭壇の前にたたずむTAIJIを発見
メンバーとともにHIDEの死を悼む- 7月下旬
- 「ロッキンf」9月号にTAIJIが樋口宗孝プロデュースによるCOZY POWELLの追悼アルバム「COZY POWELL FOREVER」に参加するという情報が載る
- 8月下旬
- 「ロッキンf」10月号の巻頭カラーページに「沢田泰司」のインタビューと写真が独占取材で載る
空白の2年間や復活への話、HIDEの話などが語られる- 9月19日
- 「COZY POWELL FOREVER」発売
TAIJIは5曲目の「KILL THE KING」にベースとして参加- 9月下旬
- 「ロッキンf」11月号にTAIJIのポスターがつく
読者のページの反響がすごかった
「GIGS」でもカラーページでインタビューと写真が載る
「COZY POWELL FOREVER」の全国ツアーに参加との情報が載る- 10月27日
- 川崎クラブチッタでの「COZY POWELL FOREVER」初日、6時前に扉に「沢田泰司、急病の為、出演取消」の貼紙がでる
ベースは初代LOUDNESSの山下氏が代理出演
この後のツアーの参加も危ぶまれている- 10月30日
- SLYのファンクラブの情報では、全公演オールキャンセルとある
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