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〜〜第17章〜〜

 

8月12日 PM8:15 エンディング  その1


「TAIJI〜〜〜〜!!」

怒濤のようなCloud Nineの演奏が終わったあと、しばらくお客さんたちは放心状態でした。
いえ、お客さんだけでなく、スタッフも皆、放心状態。
本当に、今、目の前のステージで演奏していたのは、TAIJIその人だったのか…?
夢か幻だったのではないか?
………いいえ。現実です。
スピーカーのすぐ横にいたため、爆音が直撃し、演奏が終了してもいまだにワンワンと鳴り続けているこの耳鳴りが、それを証明しておりました(爆)。

やがて、お客さんがざわざわし始めました。
さあ、すぐに退場してもらわないと、撤収が間に合いません。
あ、でも、その前に最後のご挨拶をせねば…。
あわてて、蘭魔瑠くんとステージに上がります。
「え〜〜。本日のイベントはこれですべて終了となりました。
皆さん、ご満足いただけたでしょうか?
ウオーーーッとばかりにたくさんの手が上がりました。ああ、良かった♪
そのあと、10時から行われる打ち上げの場所の説明などを行って、このDIMENSION近辺からは即、退去していただくようお願いいたしました。
本当に近辺が住宅街だもので、この周囲で騒ぐと大変なご迷惑になるんですよ。
そのため「出待ち」は今回は厳禁、という形でお願いいたしました。
皆さん、本当に素直に従っていただけまして、ありがたかったです。
んで、最後に、
「本日の司会は、蘭魔瑠と」
「私、カイコでお送りいたしました〜〜。ありがとうございました!!」
と、頭を下げました。
パチパチパチパチ…。
お客さんからの温かい拍手が、じんわりと胸に響きました。
…無事に終わって、本当に良かったなあ。
でも、5月からずっと準備してきたイベントも、これでオシマイなんだな〜〜。
そう思ったら、ほっとしたと同時に、少々寂しくなりましたね。


さて、ステージの周りには顔見知りの方々がご挨拶にいらっしゃってくれました。
TAIJIが出演する事に関しては、本当に極秘事項で、たびたび会っている親しい皆さんにもいっさい口をつぐんできたので、心苦しかったのですが、皆さん、「嬉しかった〜〜」って大喜びしてくれたので、安堵いたしました。
と、私の前に、目を真っ赤にして立っていらっしゃる方がおられました。
金色の短い髪、175センチという長身でとても華奢な身体をしておられる若い女性で、いったいどなただろう?と思っていたら、
のりえです〜。ありがとうございました!」と、おっしゃいました。
今回のイベントで、オフィスTからご招待を頼まれていた方でした。

こののりえさんは、昔、D.T.Rを熱狂的に追いかけてらして、メンバーにもお顔を覚えていただいていたほどのファンだったのですが、2年前の4月、突然の発病で入院することになりました。
2日にわたる検査のすえ、わかった病名は、『悪性リンパ腫 ホジキン』 (リンパのガン)。
それも、西洋人男性にはまだ見られるが、日本人女性にはめったにいないという病気で、今現在、原因不明、治療法すら不明という病気だったのです。
もちろん、のりえさんはすごいショックで大混乱を起こしていました。
彼女は、大きな不安とショックのあまり、誰かにすがりつきたかったそうです。
D.T.Rに、TAIJIにすがりたかった。
だけど、彼を捜す手段すらなかった…。
そして、その告知の次の日、1998年5月2日、同じくすがりつきたかった人の突然の死がありました…。

その時、自ら死を選ぶことすら考えた彼女でしたが、やがて病気と闘うために、ありとあらゆる治療を試みることになりました。
大量の抗ガン剤投与、そして自己血幹細胞採取 & 移植という治療も試みましたが、悪化。
遺伝子治療も試みようとしたところ、あまりの進行の速さに断念、骨髄移植の道を選ぶことになりました。
家族全員の採決&検査の末、見事に3つ年上のXを教えてくれたお兄さんと一致!
1999年2月3日、確実性のないまま、骨髄移植が実施されたのでした。
その後も放射線治療といった大量の化学療法がとられ、その間、彼女は計7回の死の告知を受けたそうです。
最後の骨髄移植を受けたあとは、仮眠すらできず、大量の睡眠薬で、ようやく6日目に眠ることができたと言います。
幸い、血液内科の医師の言葉「まだ、治っていません。きっと致命的になる事でしょう」という言葉通りにはならず、拒絶反応も起きず、体は少しずつ順調に良い方向に向かってくれました。
血液は、まったくお兄さんと同じになり、血液型までお兄さんと同じA型に変わったそうです。
今、彼女はお兄さんの血液で生きています。
彼女には、誕生日が二つある、と言います。
お母さんから命を授かった4月14日。そして、お兄さんからもう1つの命をもらった2月3日…。

1999年4月14日、 彼女はようやく無菌室から出て、22才の誕生日を大部屋に移り、そこで迎えることができたそうです。
そして、5月15日に奇跡的に完治し、めでたく退院できました。
同じ頃、自叙伝を出版して復活を遂げたTAIJIのサイン会にめでたく行くことができ、2年前に探しに探したTAIJIとようやく再会できたのだそうです。
しかし、実際はそう簡単には身体はよみがえらず、TAIJI' s Nightに行こうとしていた矢先、今度は肺に穴があいて、つぶれる寸前に緊急入院…。
退院できた時は、すでにチケットはSold Outとなっていたそうです。
事情を知ったオフィスTからの連絡で、「Be Free!!」の方でご招待させていただいたのですが、その時はここまで詳しい事情は知りませんでした。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
何度も何度も、彼女は私にそう言って、抱きついて泣きました。
「TAIJIが演奏しているシーンを再び見ることができました」
そう言って、泣きました。
彼女が持っていた写真には、闘病生活を一緒に送った同部屋の患者さんたちが彼女と一緒に写っていました。
抗ガン剤の影響で、髪の毛もほとんどなくなった彼女が、とてもにこやかに笑っていました。
そして、その写真を指さして、こう言いました。
「ここに写っている人達は、皆、亡くなりました」
……私は、言葉もありませんでした。
「生きたくても、生きたくても、死んでしまう人が、たくさん居るという事。今、死と背中合わせでも生きる為に、一生懸命生きようと頑張っている人がたくさん居るという事。私は長い入院生活、ツライ治療で、命の大切さを学びました」
そう言い切る彼女は、とても綺麗でした。
そして、彼女にとっての生きる支えであったTAIJIが、今、こうやって彼女の前で、元気で演奏してくれた…。
TAIJIもこの数年、壮絶な生き方をしてきました。
死線を乗り越えてきました。
なんか、言葉で言ってしまうと陳腐なモノに聞こえてしまいますけれど、お互い死線を乗り越えてきた二人が、今、こうやって生きて、巡り会えたことに感動してしまいました。
今日という日を設けて良かった。そう思いました。
そして。

この日に、そしてこの時に、この場所で。
彼女とTAIJIが同じ空間に存在できたことを、私は、お空の上のピンクの怪人さんに感謝したのでした。

 

 

<18>へ続く